2016 3/11 為末さん
ほぼ日的嗅覚のおかげで出会ったものの一つに、為末大さんの「遊ぶが勝ち」という本があります。この本はたぶん24歳ぐらいの時に出会ったものです。「大学を卒業しても柔術ばっかりしていていいのだろうか?」という問いに答えをくれました。為末さんは「ホモ・ルーデンス」という本に書いてあることを紹介しながら、遊びとスポーツについてさまざまな考察をくれます。
遊びとは、はっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。
「ホモ・ルーデンス」という本にそう書いてあった。
そうだ、スポーツと遊びは似ている。
序章にこう書いてあるのを見てすぐに買いました。この本の感想は今日は詳しく書きませんが、買って正解でした。こうしてほぼ日的嗅覚は実績を上げていき、さらに自信を深めていきます。「ボールのような言葉」からほぼ日を見るようになったのと同じように、為末さんのブログも見るようになります。そして一番好きな言葉がこれです。
後悔とは自分に対する後出しジャンケンです
なんとわかりやすく、しっくりくることか。こうして僕は、大学の先生の「落ちているりんごに落ちるなと言っているようなもの」から根性論から抜けだして物事を考えるようになり、糸井重里さんの「人をバカにしちゃいいけないの“人”には自分も入っている」という言葉から一歩踏み出す勇気をもらい、為末さんの「後悔は自分に対する後出しジャンケン」という言葉で失敗してもあまり落ち込まずに次に動けるようになったのだと思います。
後出しジャンケンという言葉は、昔からずいぶん長い間引きずっているような失敗に対してもケリをつけてくれる言葉です。なんだか失敗した当時に遡って自分を助けてもらっているような感覚を覚えます。
こうやって自分の好きな言葉を上げていると周りの人にも自分と同じように感じることを期待してしまいます。しかし冷静に考えるとそれは無理な話ですね。なぜならどの言葉も言い方が変わっているだけで、特別に新しい考えではないからです。
「押してダメなら引いてみろ」とか「もっと自分に自信をもて」とか「反省はしても後悔はするな」とか似たようなことを言っている言葉はたくさんあります。言っていることは同じでも自分のその時の状況によって、どんな言い方をされたら効果的なのかが人によって違います。それに誰に言われるかが重要な時もありますし。
自分にいちばんしっくりくる物事の取り入れ方。その方向性が定まっていることに、僕はとても運がいいなと感じます。しっくり教えてくれる回数は、ほぼ日が圧倒的に多いので、僕はそれをほぼ日的嗅覚と勝手に名付けたのでした。
「遊ぶ」が勝ち 『ホモ・ルーデンス』で、君も跳べ! (中公新書ラクレ)
- 作者: 為末大
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/05/09
- メディア: 新書
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