shoya3pei’s diary

26歳 フリーター!好きなものはブラジリアン柔術、マンガ、本、映画、お酒!それから3年経ち、無職で職を探す日々!

2016 2/27 アルバイト2

プールの監視員の仕事というのは何か問題を起こしている人はいないか見て、注意して、ムッとされて、ちょくちょくクレームもらって、謝っての繰り返しですね。営業時間が終わってみんなで片づけながら「あいつ変だったな~」と話すのが楽しみでした。そして夜の誰もいない施設ってのはなんだかそれだけで楽しくなるもんです。

 

監視だけでなく、水泳をお客さんに教えたこともあります。今まで見てきたなかで断トツに泳ぎが下手だったのはインド人でした。浅いほうのプールで溺れているような泳ぎをずっと繰り返しています。そういう修行なのかもしれない。そのインド人はビート板を持ちながらプルブイも使っていました。

EVERNEW(エバニュー) ソフトブイ 青 EHA058 青

体のどこも動かせない手かせ足かせ状態です。お腹を上下に運動させて進もうとしていました。そんなインド人に適当に泳ぎを教えながら拙い英語で話した記憶があります。話すと感じのいい人でした。

 

監視員同士はとても仲良かったのでそのなかで人を好きになるというあまずっぱい話もでてきました。結局いい結果にはなりませんでしたが。

 

ある日、うなだれている中学生を発見しました。頭がいたいとのこと。体調が悪いと言われたらとりあえず救急車を呼ぶ必要があるか確認します。そこまでの必要はないとのこと。僕はちょうど持ち場を交代して休憩に入るところだったので、交代する社員の人に「あの男の子が頭が痛いそうなので気にかけてください」といい休憩に行きました。そしたらすぐにその社員が緊急を告げる笛を鳴らし僕はダッシュで救急車を呼びました。

 

救急車を呼んだあとはAEDを持っていったり、毛布を運んだり、脈を測ったりしていた気がします。AEDが「ショックの必要があります。離れてください。ショックの必要はありません。計測中です。」みたいなことをずっと言っています。一緒に来ていたその子の友だちは号泣しながら様子を見ていました。その子に「大丈夫だからね」というアルバイト仲間。

 

男の子のお父さんが来て、救急車が来て、運ばれて行き、嵐が去った静けさです。後から聞いたところ「くも膜下出血」だろうとのこと。後日、その子の家族からは何の連絡もありませんでした。

 

僕はそれから2,3カ月してアルバイトを辞めます。大学3年生のときでした。まわりでは少しずつ就職活動が始まっていました。

 

当時の自分の日記には「今の自分の気持ちはどうも冷静である。俺がもっとちゃんとしていれば助かったのかもしれないと考えたりはあまりない」、「いつ死ぬかわからないのだから、毎日を死ぬ気で努力する人と、いつ死ぬか分からないのだから、生きているうちは楽しもうとする人がいると思う」、「死にはしないと思えば、単位を落とすことも就活も前ほど怖いとは思わないかもしれない」とあった。自分なんてこんなもんなんだとしみじみ感じる日記でした。

 

それから僕は1年ぐらいアルバイトはしなくなります。よく覚えていませんがブラジリアン柔術をやりまくっていたのはこのぐらいの時期だったと思います。

 

ずいぶん長い間この出来事は忘れていました。たまに思い出す必要があると感じます。