shoya3pei’s diary

26歳 フリーター!好きなものはブラジリアン柔術、マンガ、本、映画、お酒!それから3年経ち、無職で職を探す日々!

2016 2/28 アルバイト3

プールでのアルバイトを辞めて親に小遣い制度の復活を本気で頼みました。小遣い制度の復活により俺がどれだけ充実した生活を送れ、それがいかに家族の利益になるかを真面目に説明しました。親父はたぶん「留年して引きこもりになられるよりはマシか」と思って、お小遣いをくれるようになりました。

 

内訳

柔術の月謝 8,500円

通学定期  12,000円

小遣い   10,000円

計     30,000円

 

たまに飲み会がある時なんかはお小遣いを増やしてもらっていました。これで僕は悠々自適に練習に行けるわけです。昼に行って、夜にいって。昼行けないときは夕方6時から11時ぐらいまでいる時もありました。素晴らしいな~。

 

4年生になると大学生っぽいことをしたくなったので、ボランティアを始めます。外国人の子どもに勉強を教えるものです。外国人といっても日本語はだいたいしゃべられるので普通に勉強を教えるだけです。他のボランティア仲間はみんなしっかりしてたな~。僕はかなり異質だったと思います。卒業するために大学に行って、夜は柔術、土曜日はボランティアです。

 

そしてボランティアで子どもと接する経験から僕は「家庭裁判所調査官」という仕事を目指すことになります。「家庭裁判所調査官=家庭、非行問題のエキスパート」と本に書いてありました。つまり僕は子どもが安心して生活できて、教育を受けられる手伝いをしたかったんですね。俺はどうやってこの仕事を知ったんだっけか。忘れちゃった。両親は俺がやっとやりたい仕事を見つけられて喜んでいたようです。

 

試験は6月ごろでその時は12月になっていました。卒業も危ういし自分には間に合わねえと思い、卒業したら公務員を目指すための予備校に入ろうと思いました。半年もあって間に合わないと思うのは今思い出すと異常ですね。よっぽど自信がなかったのか。何個か見学に行きひとつの学校を決めて20万の学費をお願いしました。そしたら親父は「本当にできるのか?少し一人でやってみて自分を試したほうがいいんじゃないのか?」とのこと。たしかにそうだなと思い予備校行きは辞めました。この辺は英語学校とは違いますね、不思議。それなのに親父は「これは何か必要な時に使え」と20万円を渡してくれました。当時はなんで使わせてくれるんだろうと不思議に思っていましたが、すごいことですね。