shoya3pei’s diary

26歳 フリーター!好きなものはブラジリアン柔術、マンガ、本、映画、お酒!それから3年経ち、無職で職を探す日々!

2016 3/1 アルバイト4

僕が家庭裁判所調査官を目指そうと思った時の心境を説明したいと思います。

表向きは「ボランティアの経験から子どもが安心して生活して教育を受けられる手伝いをしたい」と純粋なことを言っていますが、もうちょいわけがあります。

 

まず僕は法学部に在籍していていたのですが、まったく法律の勉強に興味がもてませんでした。大学で胸を張って勉強したと言えるものがありません。4年間も授業料を払ってもらっているのに。それはコンプレックスでした。だからこの仕事に就くために法律を一生懸命勉強すれば、それが払拭できると思いました。それに見栄もあります。「裁判所で働いています」なんて言えたら、まわりの人は「うお!」と思うに違いないという浅ましい考え。大学生活がイケてない人間の悲しい性分ですね。わかりやすい答えに走ります。

 

結果として僕がどういう生活を送るかというと、2年もの間、少ししか勉強せずに、柔術、ボランティア、小遣い程度のアルバイトをして終わります。「息子がやっと目標を見つけてこれから人が変わったように勉強するに違いない」と思っていた両親にしたら、「あれ?」ですね。

 

そうなってしまったのはですねえ、やはり「厳しい試験勉強を乗り越えるほどのモチベーションはない」の一言ですかね。純粋に子どものために何かいいことをしたいという気持ちはあっても、こんなにテストが大変ならいいやと思ってしまいますね。聞こえのいい打算では頑張れないということを深く認識しました。それに「やったことのない仕事だけど、いいことがありそうだから辛い勉強を頑張る」というのに限界を感じ始めていました。

 

アルバイトの話をしましょう。いろいろな打算があって「家庭裁判所調査官」になろうと決めたのが4年生の11月ぐらいです。年末ぐらいに僕は新しくアルバイトを始めます。パチンコの清掃です。なんでわざわざ年末に始めたんでしょうね。1年ほど復活した小遣い制度も終わりです。親父に毎月「お小遣いちょうだい」というのはもうきつかったのでしょう。

 

パチンコの清掃は開店前の2時間ぐらいでやるものです。週4,5回やって4万円ぐらいは貰っていたと思います。このお金と親父にもらった20万円を少しずつ使いながら浪人という体裁をとっていました。

 

清掃のアルバイトで特に楽しかったことはないですかねえ。バイトリーダーである70代のおじいちゃん、50歳ぐらいのリーゼントのおっさん、学生の女の子と4人で働いていた日があります。学生の女の子に「こういうところは汚れが残りやすいので注意してください」と言われたリーゼントが「なんでリーダーでないやつに言われなきゃいけないんだ!」とすねちゃって70代に愚痴を言っていました。そして70代は自分がリーダーとして頼られていると思って満足している様子。こんなに「レベルが低い世界があるんだなあ!」と思いました。あとパチンコ屋の店員さんはしょっちゅう変わっていました。平日の朝からパチンコ屋に並んでいる客のなかには穏やかそうじゃない人もいましたし、お金が関わる世界なのでいろいろありそうです。店員の体がちょっと触れでもしたら、「今ので手元が狂ってダメになった」と言われることがあるらしいです。2年の浪人中のうちの半分をここで過ごします。

 

 この時期にこの本を読んだのをよく覚えています。僕は新刊の時に買いました。今でも読み返すことのある本です。

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)